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    • 2012.03.12 Monday
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    宗教戦争

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      中国に宗教戦争はあったのか。という疑問を投げかけてみる。

      確かに、黄巾の乱や白蓮教徒の乱、紅巾の乱、太平天国の乱、義和団事件は宗教組織がらみの反乱である。しかし、ヨーロッパの宗教戦争と比べてもらいたい。

      ヨーロッパは宗教同士でやりあっているじゃないか。イスラームから聖地エルサレムを奪還しようとして行われた十字軍。同じキリスト教でも、カトリックとプロテスタントの争いになった、ユグノー戦争と三十年戦争。中国の宗教組織が起こした反乱とはまた異質なものと思える。

      日本はどうか。宗教が政治権力に対して戦争を起こしたので有名なものは一向一揆だろう。しかしヨーロッパと同じような宗教同士が争った事件があったのである。

      それは「天文法華の乱」

      1532年、管領として当時の天下を掌握していた細川晴元は、重臣であった三好元長(三好長慶の実父)を粛清するべく、一向宗の総帥であった本願寺証如に 援軍を依頼(これは元長が想像以上に強大な力を持っており、晴元一人では討伐できそうもなかったので、一向宗の力を借りたということです。また戦が長期化 すると、元長を支持していた法華宗が動き出す恐れがあった)。その結果、一向軍は元長を滅ぼすことに成功する。しかし元長討伐のために動員したはずの一向 一揆軍が暴走して、近畿地方全土で暴れまわるようになったので、細川晴元は三好元長の遺児である三好千熊丸(長慶のこと)を使って、三好家と昵懇の間柄に あった法華宗(日蓮宗)を動かして鎮圧した。この際、一向宗の総本山であった山科本願寺は焼け落ちており、それゆえに本願寺は石山御坊(今の大坂)に本拠 地を移すことになった。


      そして1536年になると、四年前の抗争で一向宗を撃破した法華宗の勢力が強大化しすぎたため、細川晴元はそうした法華宗の栄華を快く思わない比叡山延暦 寺や一向宗を味方につけて、法華宗に総攻撃をしかける。これにより、京都市内にあった法華宗系の寺院は悉く焼かれて、法華宗の天下は終焉する。

      権力に利用されたとはいえ、仏教の異宗派同士の戦い。ヨーロッパの宗教戦争に似たものがあります。

      しかし、やはり宗教戦争は一神教にこそありえると思います。神田千里氏の『宗教で読む戦国時代』には、日本で一番宗教戦争に近かったのは「島原の乱」であると書かれている。

      日本において、他宗教への寛容は普通だったのに、キリスト教領主の土地では、寺社仏閣を焼いたり破壊していたとか。他宗派に対して相当不寛容な日蓮宗でもやらなかった。

      やはり宗教戦争の元はキリスト教ということかww



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        • 2012.03.12 Monday
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